小さな家の、小さな暮らし

働くわたしの日々の備忘録

ある不動産やさんとの出会い

2017年のゴールデンウィーク

 

下の子の慣らし保育もすみ、無事育休からの復帰を果たし、なんとか仕事と生活に慣れてきた頃

 

我が家に遊びに来ていた義妹夫婦と近所を散歩していたときのこと

 

建売の住宅のオープンハウスをやっていて、近所に住んだら〜なんて冗談で言って、中を冷やかしで見学することになりました。

 

そのとき案内にいたのが、不動産やさんのNさん。

 

このとき、このひとと、この場所で出会っていなければ、

 

今回の住み替え話はなかったでしょう。

わが街の保育園事情

わが街は、都内でも屈指の待機児童数を抱えています。認可保育園の可否がでる時期は、区役所前にテレビ局がやってきて、保育園に入れないご家族とともに役所の体制を糾弾する…、なんててのはもはや風物詩となりました。

 

一年中、話題にしてくれ、役所の努力にもスポットをあててくれ、とマスコミには思います。

 

二人目は上の子と同じ園を第一志望にした場合のみ、加点がつきます。0歳児クラスに申し込むので、まぁ大丈夫だろう、と思っていました。

 

が、下の子の一つ前の代の0歳児クラスは全員兄弟加点で入った子ばかり。0歳の定員が6人と、規模の小さい保育園なので、もし6人以上兄弟枠の希望があるとすると、漏れるのは我が家なのではないだろうか…という不安は常にもやもやありました。園で、妊婦ママにそれとなく出産予定日聞いてみたり、数少ない通える認証園にも応募してみたり(全落ちしましたが)。

 

上の子のときには、共働きで、大きな園を第一志望に書いたからいけるだろう…なんて思っていたら見事に落ちました。区内居住歴というポイントで同点の方に劣っていたそうです。

 

役所もなにかしらで線引きしていかなければいけないのだろうけど、なんだかなぁと思いました。独身時代から住んでたのでそこそこ住んでましたが、子供の頃から住んでる方と比べられたら勝てないのは当たり前の基準ですから。

 

結局、第一子は勤務先の近くの認証園に電車で一年通ったうち、1歳から認可園に転園しました。

 

通った認証園もいい園で、認可のセカンドポジションに認証園があるいまのご時世が悲しいですね。預け方の選択肢がもっと増えればいいのにって思うのですが、子育て世代以外からしたら、預けられるだけでもありがたく思えってところでしょう。もちろん、預けられるだけでありがたいと思っています。

 

少し話はそれましたが、第一子のときのようにならないかと不安を抱きつつも、結果は同じ園に通えることとなりました。下の子の代は兄弟いる子は我が家を含めて2人なので、区の保育園対策で増やしまくってる成果がでてきているのかなぁと感じました。

 

4人での生活が始まる

2016年のゴールデンウィークに娘が退院し、いざ、家族4人での生活が始まりました。

 

とはいえ、私は年度末まで育休をもらっているので、モラトリアム期間。

 

朝は息子を保育園に送り、娘と日中を過ごし買い物に行き、夕ご飯を準備したら夕方に息子を迎えにいき、公園に寄りながら帰る…という、復職した今では考えられないほどゆとりのある毎日を過ごしていました。

 

1日が終わるたびにつのる、下の子の保育園入園への不安。

 

二人目加点があるため、上の子と同じ園なら0歳でいけるはず!と、過去の実績を調べ思っていましたが、集合住宅がどんどん増える我が街…。

 

保育園の入園希望書類を送った10月ごろから、頭の中は保育園でいっぱい。

 

せっかく目の前にほやほやの赤ちゃんがいたのに、くだらないことに頭が占拠されて、もったいなかったなーと、今思う。

 

保育園問題さえなければなー。あの貴重な時間をもっと大事に、専念して過ごせるのに。

NICU

産まれてすぐにNICUに入院となった第二子でしたが、検査の結果なにもなく、2週間ほどで退院することとなりました。

その2週間が人生観を変えるほどの経験でした。

NICUでは健康優良児である我が子は異質な存在で、周りを見渡せば大病と闘う小さな命ばかり。

どの子のお母さんも毎日面会時間開始から終わりまで子供に付き添い、あたたかな何かで子供をつつんでいるかのようでした。

私には当時2歳児の長男がいましたが、そんなあたたかな気持ちで子供をみていたのは、遥か昔のまだ乳児だったころ…。イヤイヤ期真っ最中の息子に、刺々しい気持ちで接することもしばしばありました。NICUで改めて、当たり前に来るあしたはない、命の尊さと母性の優しさ・強さに触れました。

家族が大事だな。

温かい家庭を作りたいな。

改めて、考えた2週間でした。

第二子の出産

主人が単身赴任から戻ってひと月ほど経ち、第二子が産まれました。

 

一人目は男の子でしたが、二人目は女の子でした。

 

予定日より10日ほど早く、陣痛から出産までは4時間ほどで、医者に破水させてもらっての出産なので、まあ痛かった痛かった。

 

産まれて次の日

 

初乳をあげたり、オムツを替えたりを少しずつやるために、看護師さんが赤ちゃんを部屋に連れてくるのを待っていたのですが、なかなかこない。

 

夕方ごろ、ようやくお医者さんと看護師さんがやってきて、こういう。

 

「夜中に赤ちゃんが無呼吸になることがたびたび起こる」

 

よくあることらしいのですが、念のため検査をしたほうがよいとのことで、生まれて1日で大病院に転院し、NICUに入ることになりました。

 

転院の際、生まれて初めての救急車に娘と乗りついて行ったものの、なにもできず。産院に戻り、「お母さんはまず、体を休めてくださいね」と言われ、ただただベッドに横になる。

 

元気に産んであげられなかったのかな…。

 

ただただ涙がでました。

夫の転職活動

当時主人は、自動車業界にいました。単身赴任をしたのは、入社して9年目。平成27年9月のことでした。

 

自動車業界といえば、愛知県や広島県にある大手さんなしでは回りませんから、

主人の会社でもそこそこ東京で経験を積むと、必ず、地方に飛ばされるんですね。

 

結婚する際にそのことは知っていましたし、その際は単身赴任で、と話していました。なので、異動の話がきた時は仕方がないと思いました。

 

ただ、結婚当初とはかわっていた点がありました。

それは本社機能が大阪に集約され、東京本社ではなくなり、東京営業所になっていたこと。

 

東京が本社のままであれば、地方に行っても数年で東京に戻るという選択肢があったのですが、営業所では、中堅が戻る席がない。

 

幹部になれば東京に戻るだろうけど、その間に子供は成人し、私もひとりでやり抜く生活に慣れ、果たして家族とはそれでよいのだろうか。

 

もちろん、それでよいと結論を出す方々もいるでしょうし、正解や間違いがあることではないのですが、我が家はいかんせん子供が小さすぎた。主人も子供と離れていることがつらかったようです。

2人目の妊娠を機に、今後の不安などを切り出したところ、積極的に転職活動を進めてもらえました。

 

転職活動にあたり、必ず愛知や広島へ道がつながる自動車業界はやめ、他業界を検討。

営業スキルはあるものの、他業界は知識がないために、引き合いがあるのだろうかと不安が強かったですが、幸い若さと経験でいまの会社に拾ってもらえました。

 

そして、平成29年3月末。主人は転職を期に我が家に戻り、4月末、無事に第二子を出産しました。

住み替え話の前に③

二人目妊娠し、産休に入る産前6週まで働いていた私。

 

当時長男は2歳で、イヤイヤ期の真っ只中。お腹に赤ちゃんがいる母にあまり抱っこしてもらえない、父は単身赴任中でたまにしか会えない。

 

仕方がないこととはいえ、かなりの負担を強いていたと思います。妊娠してからは情緒が不安定になり、夜な夜な、父がいない寂しさで枕を濡らし、昼は構って欲しさからイヤイヤが爆発…。私自身、限界を感じながら、なんとか日々を終わらせていました。

 

お腹の子が産まれたら。

やっていける気がしない。

 

職業柄、辞めて単身赴任についていく、ということは極力したくない。駄目元ですが、主人に転職してもらえないか、持ちかけてみることにしました。